LOVEへ
祖母が亡くなりました
記憶が無い頃から、自我が芽生えてからも良く会って、大学4年間一緒に暮らした祖母が亡くなりました。
今年のお正月は親戚で集まり、いつものように過ごし、祖母のボケは順調にすすみながらも、近況を話しました。
私は今年は短めの日程で泊まり、別れ間際ハグと握手をしてまた春になる前に会いに来るよと伝えて家に帰りました。
大学生のころ売るのに失敗したオタクグッズをようやく(本当にようやく)処分し、同人誌を家に気合いで持って帰ったお正月でした。
それから少しあとに祖母は入院することになり、
コロナ禍で祖母の実子の叔母と私の母のみiPad越しに面会をしただけでした。
もう89歳にはなるので、いつか来るものだとはわかってて、心の準備を入院した時に始めてはいたが、それでも少し調子が良くなり始めてるとかきいてて、なんだ大丈夫かも、おばあちゃんは生命力強めだからな〜89歳になってもなんでもよく食べるしなんて考えてました。
その日は朝私が起きる前に母が病院から容態が悪くなってる知らせを聞いて母だけが病院に向かいました。
その日私は父の「おばあちゃんの病院から連絡が来て、母が向かったけど今SMSでダメだったって」という声かけで起きました。
寝起きで全然回ってない頭で「そうか」と答え、ダメだったって…わかるけど、何が?なんで?と思ったのを覚えています。
祖母が亡くなったという事を知った時に頭の中にその日1日流れたのは
くるり/魂のゆくえ
はっぴいえんど/風をあつめて
valknee/sweetie30
などでした。なぜこの選曲なのかは脳みそしか知りません。
その後原因調査のために祖母の遺体は専門機関に送られて、早くても2,3日後かもという日程からさらに他のところに行くから葬儀は翌週の月曜日になるという緩やかなズレ込みの日程調整で、じんわり式の日取りが決まりました。
お正月以来全くあっていなかったので実感が伴わないまま、でも祖母が亡くなったという事実やこれから起きる事、日常の些細な事で祖母を想起しては毎晩布団でヒンヒン泣きながら式の前日になりました。式の前日、私たち家族は絶対早起きできないからという強い絆で祖母の家に泊まりに来ました。
深夜、祖母がいつも寝てる部屋の扉をあけても、暗い部屋があるだけで寝息が何も聞こえなくて、大学4年間で不安な夜に祖母の寝息を確かめてたあの時の音が全然きこえなくて、本当はプスープスーって音が聞こえるはずなのに何もきこえなくてただただ暗い部屋があるだけで、それが分かった時祖母はもう本当に居なくて死んでしまってて明日は本当に祖母の葬式なんだと分かりました。
祖母のベッドに腰かけてもう1ヶ月も経ったからやや薄くなった祖母の匂いを確認しました。
部屋が本当に黒くみえました。
葬儀会場に向かうタクシーからめちゃくちゃ晴れてる空を見ました。紫も入った明るい青でこんな快晴は久しぶりに見たな、変なパン屋があるなとか思いながら向かいました。
控え室に荷物を置いて、お正月以来初めて祖母の顔をみました。
最後に会った祖母より頬がすごくキュッとなってて、コケるとかよりも口の中で真空作りはじめてる時の顔になってて、すぐにいっぽ下がって顔を視界から外してしまいました。
人が居ると自分よりも悲しむべき人がとか、人前で泣くのはちょっと恥ずかしいとか考えてしまって、
すぐに顔を見るのを辞めてしまいました。
その後、トイレに行ったりウロウロして思い直して、最後だからと誰もいない時を見計らって顔を見て、お世話になったことと、今日は可愛く化粧されてる事と、好きだと伝えました。
そのあとトイレでまた泣いてしまいました。
生きてた時はあまり着なかった薄紫が入った服を着て、青みピンクの口紅をしてて、よく似合ってました。
葬式で私は受付係だったけど、なんか全然わかってなくてあんまり上手く出来ませんでした。親戚ばかりの式で助かった。親戚の関係性を聞かれた時に苗字しか答えられなくて本当に人の関係性を覚えられない自分のアホさが情けなかったです。
父方の叔母にも久しぶりにあってちょっと話したり、祖母と暮らしてた頃に祖母から電話で私の生活をきいてた方とお話したり、良い孫ではなくてすまんとなんとなく思って式の間過ごしました。
花を手向ける時に何となく祖母の顔は見れなくて、ちらっとみて、死装束や花の下の手や指の形はどんなだったかなとかそんなことばかり考えました。金色の指輪はしたままなのかとか、青い花は着色したやつらしいです。そんなことばかり。
火葬される時に、緑の器械がやってきて、棺がそれにのせられて入っていく様がコックピットっぽくて、天国行き発進じゃんとかそんなことばかり。
火葬の扉が閉じて昼食をとる部屋に移動していく時に、
親戚と歩く時はいつも、祖母の歩行スピードに合わせて遅めに歩いたり、親戚と祖母の間を歩いてチラチラ後ろを確認してたので、つい後ろを振り返ってしまいました。
祖母の姿はなく葬儀場の冷たい色の壁が見えただけでした。壁を思わず睨んでしまいました。
食事も和やかに?おわり、その頃には空の青さや庭づくりの美しさにムカついて、こっちは祖母が亡くなってるんだぞと謎の怒りが湧いてました。岩を睨んでも、岩側も可哀想ですよね。
祖母が焼き上がり叔母と私の母だけが、確認をしに行きました。叔母が大腿骨が綺麗に残ってたよと親戚に教えてくれ、
やっぱり骨をぶっとく残したい、祖母はよくチーズや牛乳を飲んでたねという話をしました。
タンパク質とカルシウムをとる理想の比率がある事をいとこからききました。
私達は骨壷に収まりやすく分割された祖母の骨をみました。
ピンクや緑が移ってなんだか花弁のような色の骨で可愛かったです。
骨壷にいれるやつをやり、骨壷に、その他のパーツ、粉末になった祖母が収められていくのを見ました。
それでラッピングされて祖母の葬式は終わりました。
葬儀場から家まで骨壷を抱かせてもらいました。こんなに軽いはずはないのに、なんか軽かったです。
強く抱きしめたら骨壷の外のガワの枠がカクカクになっててその角が刺さって痛かったです。前にハグした時は丸い背中に手が当たったのに、荒いポリゴンになった祖母は、頂点数の多い肉体ではなく概念に近づいたことを思いました。
布に自分の体温が移るばかりで、骨壷は肉体より暖かくはないことを知りました。
葬式から帰ってきて、私の段取りが悪くて塩がひと袋しかない事がわかり(マジですみません)
みんなの掌にちょっっっとずつの塩をのせたら最後めちゃくちゃ余ってしまいそこでも段取りが悪かったです。情けない。
晩御飯の時間まで余裕があったので、いとこ達が散歩に出かけるのを元気ないからと見送り、1人になるタイミングで祖母の部屋にいき、祖母の蔵書や小学生の頃泊まりに来た時に見てた名画集を開いてみたりして、祖母の家で過ごすといつも私の本棚から本を読んでいいからねって声をかけてもらってたことを思い出しました。
その時に、私が大学4年間ここで過ごしていた時の日記帳が出てきました。日記帳には私の事が沢山書いてあり、私が大学の友人の家に泊まってるからか連絡が無いこと、私の友人を連れてきてこの家に泊まったこと、「孫には兄弟がいないので友達は大切なタカラモノ!?」等が書いてありました。母にこの日記帳を貰っても良いかをきいた時にどうしても泣けてしまって親戚の前で泣いてしまって、ちょっと恥ずかしかったです。照れるね。
日記帳には確かに私は祖母に気をかけてもらい愛されていた事が、一緒にそばにいたことが十分わかる内容が書いてありました。
私がサークルの合宿に行って楽だけど寂しい、5日後に帰ってきて嬉しいやはり寂しかったなど書いてありました。祖母は寂しがり屋でした。文通や電話をマメにし、祖母は人との繋がりを維持していました。祖母の姉も、祖母の旦那も、仲のいい友達も、親戚もどんどん亡くなってしまうので寂しいとしきりに言っていました。
天国には皆いて寂しくないでしょうか。
布団をしかないと寝られないじゃないと心配する声が、テレビを遅くまで見ていると早く寝なさいと声をかけに来るその声が、トイレの扉の前に置くスリッパの位置が悪いと扉に引っかかるから正しい位置に置いてよと言いに来るその声が、聞こえないことを寂しく思います。
誰が亡くなってもそうなのかもしれませんが、両親の次に濃い関係性の親戚だったため、些細な事で後悔を思い出します。溜まった留守電へ全部折り返せばよかった。些細な日常の動画を残せばよかった。アイス買ってあげればよかった。お参り一緒に行けばよかった。
もっと、もっと優しくすればよかった、話せばよかった、愛に感謝をすればよかった。
多分、そんな風に思える関係性の人がいた事に感謝をして、
多分、その後悔は今生きている周りに向けるべきなんだろうなと思います。
そして昨晩また、性懲りも無く祖母の部屋の扉を開けて無音である事を確認して泣いていました。
1人になるタイミングでしかあんまり泣きたくないのですが、今は泣くべきなんだとおもいます。
祖母の不在をあらゆる断片から感じ取り、そこに祖母の形の空白があることを思います。
祖母は人のために何かをしていないと落ち着かず、天然で素直で、自分なりに他者を愛し続けた人でした。
LOVEへ、寂しくなりますが、あなたの寂しさが無くなり、肉体の痛みが今は無いなら嬉しく思います。肉体が無いことにより逆に全ては祖母にも通じているのかもしれません。
アイスもお酒も、お菓子も好きなだけ食べていいし、昔やめたタバコも、もう全ていくらでもやって良いです。
方向音痴で片脚が悪いあなたが、きちんと皆と合流出来ているか迷子になっていないか、歩調を合わせてもらえてるか(歩調とかないのかな)それだけが母と私の気がかりです。
楽しい仲間たちと好きなだけ楽しく過ごしていると信じさせてください。
良い人間でした。